新居浜の文化、美術、その他

新居浜が関係する二人のパッケージデザイナー


郷土美術館2階北壁にあったレリーフ


西澤 富義 戦後まもなく新居浜でオリゾン洋画研究所設立

収穫


採鉱


新居浜出身ジブリの動画家 近藤勝也


オープニングスペシャル対談 近藤勝也、田中千義(ジブリイベント事業部プロデューサー)より
アニメーターを志した衝撃を受けた作品、中学生の時見たアニメ未来初年コナン
新居浜の好きな場所、高速道路でなくなったが、新居浜を一望できる場所があった
高校時代、アニメは独学で勉強
宮崎駿監督との最初の作品、天空の城ラピュタ
一番大変だった作品、コクリコ坂から
一番近藤勝也氏の作風が出ている作品、海が聞こえる
アニメの静止画で動きが見えない静止画はだめである
コンピュータで描いた静止画は信用できない、印刷物になってしまう、自分で描いてない



別子太平記 愛媛新居浜 別子銅山物語 井川香四郎/著
井川香四郎(いかわ・こうしろう) 新居浜市出身



2017 2/28閉店、16年営業、新居浜出身の音楽家お世話になりました 新居浜タワーレコード



大正10年、荒井いくさん(第5代新居浜市長夫人)留学先ロスアンゼルスで購入
、昭和61年新居浜に寄贈
VICTORIA NEW YORK PAT MAR07 1907製造、ピアノ修復家、山本宣夫氏により修復

新居浜の美術

新居浜近代洋画の原点
京都洋画界 田村宗立 1846から1918
京都府画学校教員、辞職して明治画学館をはじめる
伊予郡新居郡神拝村出身、高橋半哉、岡 唯一
郷里にもどり絵画教育に引き継がれる

住友と美術
第15代 住友吉左衛門
京都洋画 浅井 忠、鹿子木孟郎、黒田清輝など支援

明治43年新居浜で初めて油彩画展、神郷小学校で開催
岡本 忠道(1888~19899
高橋 半哉に旧制西条中学で図画の指導をうける
大阪時代は鍋井 克之に師事

新居浜洋画黎明期
飯尾時春、岡本 忠道が東予地方で教育
飯尾時春はイラストレーター真鍋 博、デザイナー松田 雅夫を指導

西澤 富義
オリゾン洋画研究所設立
住友の人々や新しい人々集まる
西澤の父、貞義、第3代新居浜市長
西澤は小磯 良平に師事
小磯良平を住友倶楽部にまねいて講演会、若き真鍋博も参加

新居浜の前衛美術
広瀬宰平とも縁ある 北脇 昇
本籍新居浜中萩、10歳で広瀬満正にあずけられる
ジャンルを超えて活動、実験工房設立
北代 省三、山崎 英夫、愛大工学部1期生(新居浜高専)
上記冊子からまとめてみました




オリゾン洋画研究所にパッケージデザインの秋月 繁が参加
後に東京に進出、ネスカフェのデザインを手がける、撮影許可済


遠藤 石山の書(写真なし)



遠藤 石山

天保3年小松町に生まれる。母は新居郡下泉川村星原の農家で酒造業を営む山内家
近藤篤山に師事し、江戸の昌平黌(しょうへいこう)に学ぶ
ペリー来航による幕末の動乱において、小松に帰郷し、新居郡下泉川星原に新居を構える
明治2年、維新の動乱で荒んだ世の中に秩序を取り戻すため、泉川に漢学家塾、稽崇館(けいすうかん)を開設
別子銅山支配人、広瀬宰平との交友も深く、銅山の将来や日本の将来など語り、
意気投合し、広瀬満正など入門する
明治40年、76歳でこの世を去る、稽崇館は明治初期から20年ぐらいまで開校されていたそうです
ここから、新居浜の重要な人材が輩出された
村上桂策、藤田達芳、広瀬満正、小野寅吉、山内幾太郎など、詳細は泉川公民館、図書館などに冊子多数あり
なお遠藤石山の功績をたたえ、泉川小学校の校歌となっています



泉川公民館前に遠藤 石山の教え主人公


泉川に漢学家塾、稽崇館(けいすうかん)跡




近代陶磁器のはじまり、河原徳立(かわはらのりたつ)

幕府金座年寄佐藤治右衛門の子として1844年(弘化元)江戸に生まれた。
十五歳で河原興一郎の養嗣子となり徒士見習を命じられ、
のち将軍家茂の上洛に随従して京都において初めて愛陶趣味に入りました。
維新の変革後徳川家達の静岡藩に従ったが、廃藩となり1871年(明治四)東京に出て深川(江東区)に住む
同年式部寮に奉職し翌年1月には内務省勧業寮に入り、オ一ストリア大博覧会事務局御用掛りとなりさらに出品掛りに転じました。

明治6年ウイーン万国博覧会で日本の陶磁器は好評を得る
河原は政府は製陶事業に消極的、自ら官職を辞し、東京に輸出用高級陶磁器、瓢池園(ひょうちえん)製陶所を設立
好評を博した陶磁器など美術工芸品の輸出商社、森村ブラザースの出店や
幾つかの製陶所が設立された、明治23年世界恐慌により停滞する


広瀬家と河原家

明治22年広瀬宰平は一行をつれて、商況調査を行う
日本の美術工芸品は尊重さてれいるが、おおむね偽物であると嘆く
明治33年、河原徳立の次男、次郎は広瀬宰平の長男、満正の長女艶香と結婚し、
4代 当主になり、両家は結びつく
1900年パリ万博に審査員として赴いた、川原はアールヌーボでにぎわうパリのデザインと
旧態然の日本のデザインの格差に愕然とする
明治36年河原は反省をいかし、遊陶園を立ち上げ
明治40年広瀬満正と京都瓢池園を設立、広瀬家と河原家が協力して、取り組む
徳立の死去により、規模の縮小や閉窯を行う
しかし、広瀬家や河原家の親戚筋により日本陶器、東洋陶器、大倉陶器が設立された

写真はアホウドリの大鉢
ポーランジュ社(フランス)1900年のパリ万博、
デザインの改良の必要性を痛感した河原が 教訓とするため買い求めた品、広瀬歴史記念館蔵




宮崎貞夫

1931年生まれ。愛媛県新居浜市出身。
第15回小川未明文学賞最終候補に残る。第16回日本動物児童文学賞奨励賞を受賞。
『ななこ姉ちゃん』にて第23回小川未明文学賞大賞を受賞。日本児童文学者協会会員
ななこ姉ちゃん

ティーンズ文学館


推理作家 福田栄一氏,新居浜市出身


戻り
inserted by FC2 system