江戸時代の旅


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江戸時代後期の新居浜浦
海岸の通りと現在の本町しか道がない 一面田と畑 右側黄色い広場が口屋
前の道を右に進み斜めにあがった点、東町の浜庄屋、白石家
さらに右上先端部分大江の浜庄屋 道路内にある黒い点は浜庄屋と思います
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東町 白石家 江戸時代宝暦4年から明治4年(廃藩置県)
に至るまで新居浜浦東町の浜庄屋 前の道が江戸時代からある古道(本町通り)
ここに西条玉津出身の矢野誉二郎が養子にはいり、白石誉二郎となり
新居浜町長、初代新居浜市長となる

安政二年に白石又兵衛が建てた白石家は、大きく畳百畳、全部中二階の構造、
三年かかって建てた広大な屋敷
大江の軍事工場の関係で屋敷は取り壊されたが、元の場所に再建されている(写真)
ここに東町太鼓台の太鼓蔵が設けられていた。
書籍新居浜太鼓台記載の白石文書はここに保管されていた物

東町 厳島(宮嶋)神社祭礼7/25日

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港町保育園の裏 奥 観音堂 手前 宮嶋神社
宮嶋神社の前 丸いお香立て 文久の年号がみえます
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宮嶋神社の前 手水鉢 天保の年号が見えます 東浦方中の文字が見えます
江戸時代この辺は東浦と呼ばれていた事がわかります、ここから東町、東町神輿太鼓が発展


金子新田 若宮神社(9/15)

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金子新田自治会館の裏 若宮神社
楠木正成の子孫 楠木正国が塩崎と名前を変え西条市神戸へ移住
正国から4代目正浪(まさなみ)の子、塩崎利右衛門が新居浜、金子新田に移り開墾
その時西条市神戸にある楠木神社を分神(若宮)となります。手前、四角の器、安政の年号
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楠木正成の御紋 菊水の紋、地区の紋でもあります
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そして金子新田太鼓台、楠木正成の上幕
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