新居浜郷土芸能(1/3)


新居浜市には古くから伝承さている、芸能や将来に伝承すべき芸能があります

大生院 黒森会

大生院公民館で活動している和太鼓クラブです、1994年和太鼓クラブ黒森会結成

中萩 廣瀬お茶もみ唄り

明治10年殖産産業の一環として、廣瀬宰平により製茶所開設
中萩上原に茶畑がありました、この製茶所で従業員が歌った労働歌です
現在は、製茶所で働いていた、古老から聞き取り、現代風にアレンジしています

金栄 トンカカ踊り
豊臣秀吉四国征伐で東予には約3万の兵が上陸
東予地区の総大将、金子備後之守はわずか3千の兵で応戦、最後は天正13年7月17日 西条野久市ヶ原で壮絶な最後
敵の総大将、小早川隆景は見事な戦いぶり褒め称え、多くの亡骸に向かって合掌し、鎧の上に法衣をおき、
弔いの舞をまったといわれ、拍子のリズムの陰陽が トンカカ、トンカカと聞こえたから、
この踊りが生まれたといわれています
東予一円で盆踊りで踊られていましたが、1873年愛媛県より、踊りの禁止令が出されました
しかし、壬生川、くらみつ神社では、県に税金を払い、舞っていました
平成6年に金栄校区で保存会結成、金栄太鼓台の幕の内容はこの伝承で作成されています
さらに金栄太鼓台はトンカカを唄いながら運行しています
ちなみに、川西、一宮神社や川東八幡神社もこのとき焼失しました、
新須賀にある円福寺はもともと川東、八幡宮の近くにあり、八幡宮の別当寺でした、円福寺も焼失し、後に
新須賀に立替られました

泉川 松原池造り唄

天明の大飢饉のさい金子村の真鍋求衛門が中心となり松原に灌漑用水路築造
工夫の間で唄われていたのが、松原池造り唄のはじまりとされている、松原池は水がたまらない
ことから、籠池とよばれ、池の堤には桜がさき、花見の名所でした、現在は埋め立てられ、松原団地

多喜浜 ソルティちゃん音頭

多喜浜 塩田賛歌
約300年前、多喜浜は塩田にはじまり、以来150年日本有数の塩田として栄てきました
郷土の近代産業遺産である塩の文化を伝承すべき、多喜浜塩田を讃える踊り完成
子ども達が歌詞を考えてソルティちゃん音頭完成
二曲とも阿部由美子先生に創作振り付け

別子 別子銅山せっとう節
起源さだかではなく、江戸時代、山へ出稼ぎにきた、坑夫達により伝承されている作業唄と言われている

神郷 神郷史情
地域にも歌って踊れるものがほしいということで、神郷の唄を踊ろう会発足
平成21年に完成、曲作り、三味線、太鼓、尺八、藤本秀久瑞社中に依頼

宮西 口屋音頭
2001年の口屋開設300周年にあわせて平成14年制作
小学校の運動会や夏祭りなどで伝承されている

高津 沢津音頭
第二次大戦後、人々に潤いと地域の復興のために、昭和22年安藤貞義氏によって作成
平成13年に沢津音頭保存会結成、藤間夢路さんに振り付けお願いし現在にいたる

舟木 かぶと踊り
起源はさだかでなく、室町時代から徳川中期にかけて完成といわれています
舟木の人々は兜山の不動権現(八大竜王)崇拝、旧暦6月1日の祭礼日には祈願登山
日照りの時は、雨乞いをしました、雨に恵まれたときは感謝しながら踊ったのが、かぶと踊りです
昭和30年ごろには消滅しかけていました、昭和49年全国青年大会で優勝がきっかけで、保存会が結成
平成16年、新居浜市無形文化財に指定

角野 西蓮寺獅子舞
今から60年まえほどに、今治、大三島出身の方が、西連寺地区の繁栄と
文化的祭礼のために、大三島の獅子舞を伝承したいと考え、有志を募り、はじめられました
10月の祭礼には五穀豊穣、無病息災の地区内を巡行しています

垣生 じょうさ節
約200年まえから唄われ始めてたといわれている
昔 垣生の庄屋高橋家の使用人、丈吉が仕事中に歌っていると、領内視察のとうりかかった
西条藩主が耳にされ、おもしろい良い歌であるとほめられ、丈さん節となずけられたのが
いつのまにか、じょうさ節になったといわれています
昭和20年代には、わすれかけていましたが、昭和44年、じょうさ保存会が結成、古老の歌を採譜
踊りの振り付けをするなどして、昭和53年新居浜市無形文化財に指定

金子 小女郎たぬき踊り
ラブ金子ふるさと夏祭り、平成3年に始まる
平成7年の夏祭りではじめて披露、平成19年には日本たぬき学会に加盟

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