古文書に見る新居浜太鼓台の運行形態(5/5)



書籍新居浜太鼓台から 昭和6年の運行 なんらかの理由で祭礼日が23日、24日、25日の郷土研究の記録です
住友病院の考察 24日の賑わいは、住友病院の広場の定まる、これこそ45年前よりの例となる、記載があります


上の地図は昭和6年の病院と太鼓台の関係です
昭和6年から45年前は明治19年にあたります、住友病院の書籍では、
記載がありませんおそらくなんらかの診療所がこの地域に出来たと思います。
明治32年にこの地に住友病院ができました、大正時代に2階建てになり昭和10年ぐらいまで、ここで開業していました
太鼓台は本町を通行し、かきながら運行していました、海沿いの道は現在も通行しています
明治なかごろから、病院前に集合がはじまったことがわかります
当時太鼓台は車をつけることがめずらしいため、記載があります

昭和11年王子町に開業、昭和41年に隣接地に開業、太鼓台は磯浦のロータリーに集合しました
前田町は現在のイオンです
太鼓台は昭和40年代まで、各地区から台場ごとやそりをつけて、すべらしたり、かいたりして新田アーケード前まで持っていきました。
病院への集まりは、治療中の人々も祭礼を楽しんでもらうために、集合したと思います
それば川東、労災病院前の集合も同じ考えだと思います

戻り

inserted by FC2 system