都市開発

明治末期の大江浜

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昭和42年と年代不明の喜光地




喜光地のアーケード2014、4月ごろ一部取り壊し

昭和2年鷲尾勘解治が住友別子鉱山の責任者に就任すると鉱山の鉱量調査を開始
その結果鉱山は末期の経営であると判明、鉱山なき新居浜の後栄を当時の白石町長に提言し実行した
1 鉱山に換わる事業を起こす(重機、化学等)
2 築港を行い工業用地を造成
3 道路を整備し都市計画を策定
昭和6年完成した昭和通り 左 元塚から沢津方面 手前共存橋 奥共栄橋 右 元塚から西

現在の共存橋 奥には尻無川にかかる共栄橋
鷲尾氏の都市計画によって実行された
(共存、共栄、申考橋、昭和通りの名命も鷲尾氏)
この実行により新居浜はさらに発展した



元塚交差点のすぐそば菊本町にある鷲尾氏自宅


昭和10年代





昭和20年代

中須賀から元塚方面当時毎朝住友各社へ通勤する自転車の大群が通過した

昭和29年の市役所通り


昭和30年代



上 喜光地商店街 下 本町(現在の西町)アーケードではなくテントを引っ張っていた

喜光地商店街、撮影年代昭和28年ぐらい、撮影場所段理容院の看板が見えます、ここは、
現喜光地イベント広場の前の交差点北西角にあたり、左の大條履物店は、現イベント広場となります。


銀ビル

昭和40年代まで本町と昭和通り両方に商店街があった店に商品を置くと飛ぶように売れたそうである

御協力
明治末期大江浜の写真判定 広瀬歴史記念館 別子銅山記念館
昭和20年代、30年代の写真判定 中須賀に志まき 喜光地永易呉服店

登道アーケード


1990年代後半、老朽化でぼろぼろ

改修中


2002年3月 アーケード落成
現在にもアーケード内には空き店舗が多くあります、至急の対策が必要


昭和通り、ダイエーからマルナカへ改装中の写真
ここは古くは南海デパート、ダイエーにかわり、閉店後、マルナカに


2016 8/31 マルナカ若水店閉店 店長閉店のあいさつ









2017 8月末 マルナカ若水店撤去開始



2018 12月 マルナカ若水店再開


住友化学愛媛工場歴史資料館
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住友化学だけでなく新居浜の歴史も写真やパネルで表示
開館時間8時から17時 月曜日から土曜日(土曜日は会社が出勤日であれば開館)
通常は閉館事前に電話連絡を電話0897-37-1711

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新居浜市中心市街地活性化基本計画書から口屋跡と尻無川の整備 計画中

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