舟御幸場所と祭礼の変化


昭和7年の地図
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右 昭和初期までの乗船位置、明治時代御輿は埠頭の先頭から乗船
(明治時代とかなり地形がかわっていると思います)
中 大江浜埋め立て後の乗船位置
左 住友化学大江橋完成後の乗船位置(現在)

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船御幸 新居浜市立図書館発行 新居浜太鼓台より
写真の時代と場所 右脇に大きなマストが見えます 鉱石運搬船です
四坂島か関西方面に鉱石を運びます 左には高須の一部が見えます
時代は大正末から昭和初期、場所は運搬船停泊位置から港湾整備されるまえの西原海岸が考えられます

当時の船御幸
しばり船(しばり網漁の船)長さ10mを2隻あわせ一台乗せる両方の船を8丁の艪でこぐ
船の喫水が低く金糸銀糸の太鼓台が海に映え見事なり
昭和30年代だるま船からフェリー、昭和49年台船


大江恵比須神社と東須賀恵比須神社の移行
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二つの恵比須神社は江戸時代から存在(小さな祠)
昭和初期大江浜埋め立てに伴い、近くに移動(大江浜埋め立て年度不明)
当時まだ大江浜への集合はありませんでした
大江浜について
大江恵比寿神社は周辺土地の売却により住友化学大江工場内
になってしまったので現東須賀恵比寿神社の東側に祀られています
大江浜(現かきくらべ場所)も昔は、2台ほどしか集合できないので、
東須賀恵比寿神社の祭礼のため、東町には来て貰っていたようでした
埋め立てによって、場所がさらに広くなったそうです

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大江浜の隅にある恵比須神社(手前 東須賀恵比須神社 奥 大江恵比須神社)
港町ポンプ場 昭和初期まで船御幸の太鼓台はここから船に乗せていました
左側の道は太鼓道と呼ばれ、手前に念仏橋がかかっていました(鷲尾氏自宅の目の前)

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大江浜恵比須神社前での御幸 本神楽の執行 本来、西町の新居神社で行われる行事
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大江浜終了後、浜から船に乗せ、海上渡御の執行 大山祇様と八幡様
その後を台船の太鼓台が渡ります 県特殊神事
昭和初期は最初に乗船して西原へ、その後、新居神社へ向う現在は大江浜に宮入後乗船

本神楽は本来西町、新居神社と久保田、久保田八幡のみで執行されます
川西地区が新居浜村(町)と金子村の時、両神社はその地区を代表する神社でした
西町、新居神社 久保田、久保田八幡は現在一宮神社境内に移されています
大江は新居神社の代わりに恵比須神社での本神楽の執行と太鼓台の浜入りが行われています
14時すぎ御幸終了その後太鼓台が宮入します

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