秋祭り


川西地区 一宮神社の秋祭りの意味を中心に解説
川東地区八幡神社の秋祭りはけにちのほーむぺーじを参照して下さい

一宮神社

iku1.jpg taikos19.jpg
一宮神社(和銅2年建立)

本殿、祭神 大山積 伊予大三島より奉遷、雷神(いかずちのかみ)、かたおかのかみ、
建御名方神(たてみかたなのかみ)合祀
右 伊予八幡 延久年中に建立 毛利元就の信仰厚く慶長年間に萩に分霊、伊予八幡という
昭和18年 一宮神社の祭礼、太鼓台

一宮神社の参道

●一宮神社秋季大祭の意味と概要

昭和八年の奉納太鼓台スケジュールから祭礼を考察
18日秋大祭19日神幸祭
9:00一宮神社集合8:00一宮神社集合
10:00例式に参加8:30出発
11:00出発9:30新居浜高須着
12:00新居浜着10:00乗船
13:00出発11:00新居神社着(恵比須神社)
14:30住友病院前13:00出発
15:30退散14:00女学校集合
15:00久保田八幡宮集合
16:00出発
16:30宮入り
17:00退散


川西地区では市制をしく昭和12年までは、新居浜町と金子村の二町村が中心で祭礼が行われ、
宮出しのあと馬にのる神主を先頭に地元の人々が担ぐ御輿がつづき、
その後ろを太鼓台がつづき各くお旅所をまわる運行でした
お旅所では、神主がお神楽を奏で、馬は近所の農家で飼われていたのを使用
御輿も太鼓台も車なし人で担ぐ(驚異)
(故事にならい昭和40年代まで最終日は車無しで運行)


祭礼の日程,三日間の意味
初日氏参り・・生まれてはじめての秋祭りをうじ見せといい
       晴れ着をきて神社に参詣していました。新居浜地方の独特な行事
氏見せ(10/30)
神社の中祭り(二日目)、本祭り(三日目)となり全体で三日間となります
旧暦を用いていた為、船御幸では必ず満潮となります


祭礼の運営様式
二日目から秋季大祭で宮入、例式に参加
神様のお側に行くため、太鼓台と関係者をおはらい、清めの式です
三日目は御幸祭で御輿が各地区を御幸します
御幸の意味は町々の幸福と健康を祷るために行われます
太鼓台は御輿の道中の御慰安と御守護のために運行
必ず御輿の後に付き運行されます、これが本来の意味です


運行
昭和八年では最終日朝早く太鼓台は御輿を迎えに神社に集合し、共に出発しています
女学校集合とあります、これは離れてしまった御幸の行列をここで再度迎えるための調整です
当時は御輿の後ろについて行動し守護する意識をもっていました
昼食も弁当や地区の炊出しでまかなっていました


太鼓台の大きさ
現在より高さ1メートルから1.5メートル低く、その分全体的に小さかったそうです


御幸場所
本来の御幸場所 高須(東町、厳島神社)、新居神社(恵比須)、久保田(巨八幡)の3ヶ所
現在の御幸場所
船御幸の年,一宮,高木,久保田(西の土居),江口,大江,中須賀,西原,新田,磯浦(近年追加)の順
陸御幸の年,一宮,大江,中須賀,西原,新田,磯浦,江口,久保田(西の土居),高木の順

祭礼の変化

川西では昭和10年前後(市制は昭和12年)から祭礼の変化が起こったと思います
御輿と太鼓台は共に運行するはずが、単独に運行されはじめたころと思います

市制後、久保田八幡、新居神社(昭和25年に一宮神社へ)が一宮神社に合祀
道路の整備で太鼓台の運行の効率化、各神社で行われていた市の廃止
各自治会要望による御幸場所の増加、太鼓の騒音問題
御輿の担ぐ人の問題等により本来の運行形態からの変化が起きた可能性があります

太鼓台の大きさも、昭和10年代、20年代、30年代と段々と大きくなり、現在の大きさになったのはきわめて近年です
西町、新居神社への集合が現在大江浜、恵比須神社への宮入、本神楽の執行として残っています

大江浜入りする前に登り道付近に集まるのは御輿を向かえるためであり(迎えに行ったなごり)
大江浜入りは、浜の恵比須神社に参詣することです(本来は西町、新居神社)
陸御幸の場合浜入り後、西に進むのは御輿の後を追い中須賀花園入り(新居神社)するのは、
昔の祭礼の運行を今に伝えています

昭和30年代まで二日目の宮入は8台とも入り、三日目も8台揃い列をただして宮入、宮出しを行いました
太鼓台の喧嘩も宮入り中や運行中何回かトラブルがありましたが
ほとんど宮出しの帰路で行ったそうです


一宮神社左廻りについて
jinjya1.jpg iku1.jpg
本殿左側にある神社(奥が西町にあった新居神社(恵比須))  本殿と伊予八幡
本殿右脇に一宮神社と縁の深い八幡様が祭られています
その右には楠木神社、一宮稲荷神社があります本殿左側には神社2体が祭られています
本殿をお祈りした後、右の八幡様へ詣で左廻りで一周します
左へ廻ると言う事は、一宮神社境内に祭られている各神社への参拝順路です
よって私達も太鼓台も本殿右から左に廻り境内の各神社を参拝します
神社により右廻り、左廻りの由来があります

一宮神社祭時記

月次祭1月15日 (つきなみ祭)毎月の15日にその月における祭り
元旦祭1月1日 今年もよき年であるよう祝詞を奏上
若水くみ1月7日
年賀厄除祭旧2月1日 厄年の人のおはらい
献茶祭5月上旬
港祭5月2日
春季大祭5月3日 現在春は子供天国
夏越祭7月30日 半年の罪穢れを茅野の輪をくぐり清めること
宮の市旧7月12日から13日 現在廃止
秋大祭10月17日
神幸祭10月18日
七五三11月15日
鎮火祭12月1日
新穀感謝祭12月23日 (にいなめ祭)豊作豊魚産業繁栄を神に感謝する祭り
大祓除夜祭12月31日 万民の罪穢れを祓い清め今年1年無事にすごせたことの感謝と新年をも恵み給わんことへの祈り

現在行われている祭礼です市民は誰でも参加できます
6月と12月の大祓いについて 大宝律令(701年)で半年毎に祓いの祭礼を規定
現在まで伝承され一宮神社では7月茅の輪をくぐり市民の半年の罪穢れを清めています
12月は本殿で大祓いの祭礼が行われています


一宮神社・神幸祭

hata1.jpg
祭礼時に立てられる幟(一対)
立てられる場所は村の入り口や村に神社があればそこに立てられます
よって立てられる場所は新居浜が各村であった時からその入り口にあたります
幟の先には笹竹が付けられよりしろ(神様が降りられる場所)となります
神様が降りて来られるとき迷わないようにできるだけ天に高く立てます
幟には神を寿ぐ言葉が書かれており、各地区には江戸や明治からの言葉が伝承されてます
御協力 一宮神社

内宮神社

utunomiya1.jpg
kaidan1.jpgkaidanage2.jpg
鳥居付近、急坂の参道 秋季大祭早朝4時太鼓台が登ります
太鼓の音は山々を振動させ邪気を祓い、物凄いかき夫の気合は観客を強烈に引き込む
この物凄さ、この光景はどう表現したら良いのだろう、まさに神儀ここにあり

内宮神社歳時記

日時祭礼
毎月1日おついたち参り 当日は日ので1時間前についたち祭執行
当日に限り社殿を終日開き、点灯して氏子の自由参拝に応じる
2月1日年賀厄除祭り
5月1日春祭り、かつての別子銅山の山神祭の祭日(5月1日~3日)
を留め、当社の春祭りも同日を守る
7月20日夏越祭、昔ながらのローソクの火に、手描きの絵の行灯の列が名物
10月16日氏参り
10月17日宵祭
10月18日神幸祭
11月15日七五三詣で


昭和初期の秋祭り

10月24日氏参り
10月25日宵祭り
10月26日神幸祭
10月27日後祭り 小学校運動会 祭りの残ったご馳走をもって親戚も一緒に楽しむ

太鼓台かき上げは、宝暦3年(1753)から執行、昭和に入り戦争激化により中断、昭和52年復活


神幸祭 お御輿は角野消防団が奉仕
午前8時御出発-西進して御蔵(広瀬公園南東)でご休憩-北進して午前10時20分西泉児童公園
西角野の御神楽執行-旧国道東進-吉岡町御神楽所にて正午から東角野の御神楽執行
南進して角野新田より、北内を経て、喜光地バリュー付近で太鼓台と合流,
旧道を宮原・中筋を南進-角野小学校にて御輿に拝礼,一台の太鼓台をかき上げ、
御輿のお供をして午後5時宮入終了

御協力 内宮神社

新居浜在住の方あるいは新居浜市民になられた方、
是非地元の自治会の青年部、壮年部に入会し活動して下さい
新居浜から何か見つかります

戻り
inserted by FC2 system