久保田入り

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左 昭和10年 久保田河原入り 右 現在の久保田河原
お旅所では、神主がお神楽を奏で、馬は近所の農家で飼われていたのを使用し
宮入前の最後のお旅所である、久保田の東川の川原では担き比べが行われていました(御輿は先に帰る)
市制がしかれては一宮神社で担き比べがおこなわれるようになりました

現在の久保田河原 今は住宅街奥は久保田大橋 そばの大木付近に巨八幡(久保田八幡)があったそうです
久保田八幡の創建年代不明、江戸時代の記録に巨八幡と有り
合祀(小さな神社をまとめる)され一宮神社に奉納されています

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昭和初期までの久保田河原
お宮西側五社の方向に進み、江口の金子橋近辺から河原へ、川筋を登り神楽場へ
到着、大正時代周りには家は3軒のみ、御輿2台と河内1台(祇園社)で祭礼
済むと河原を登り金栄橋の辺から土手により、一宮へ

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川西 河内町の祇園社の御輿
昭和20年代まで秋の祭礼に一宮神社の御輿と一緒に祭礼に参加
太鼓台の先頭に立ち一宮神神社に宮入していました
写真は7月上旬 一宮神社へ向う御輿と御神体を御輿に移す祭礼です
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御輿は河内町を巡回 地元の人達により祭礼が行われます
地元古老の話 祇園社は寛文(江戸初期)に建立金子山付近に神社があったそうです
昔疫病がこの一帯に流行したさい 祇園社を祭ると平癒したそうです
京都祇園神社との関係があるそうです

久保田本神楽

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今年から久保田大橋近くの西ノ土居での御幸 神座を設け神を降ろし迎えます
 八幡様の御輿 、大山祇様の御輿、大橋付近大木近くに巨八幡(久保田八幡)有り
本来、久保田の久保田八幡で行われるべき行事、土地問題で西ノ土居(久保田八幡に近い場所)での執行
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本神楽(浦安の舞)が執行されます 人々の長寿を願い清め祓い魂鎮めをおこないます
五色(五色は宇宙を表す)の幟、戦前は子供さんが持って歩いたそうです


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