新居神社(恵比須)と高須



昭和7年の地図から
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左 新居神社と集合場所 右 厳島神社(高須)と集合場所


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一宮神社本殿向って左側にあります新居神社
新居郡の歴史と新居神社について
一宮神社の記録に恵比須神社と巨八幡があります
明治40年神社整理規則発令
これにより明治43年 新居浜町内の内海神社(東須賀)、春宮神社(御代島)、
恵比寿神社(中町)境内末社、天満宮、風神社を合祀
新居神社と改称して西町に建立、改称するまで恵比須神社でした
明治21年新居浜浦から新居浜村に改名(村社恵比須神社)
明治41年新居浜村から新居浜町に改名(町社恵比須神社(新居神社))
江戸時代から昭和初期まで浜側は漁師の信仰深く恵比須神社を中心に発展したのがわかります>

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西町にある新居神社記念碑昭和25年一宮神社へとある
新居神社前の本町通り、ここに太鼓台が勢ぞろい 当時太鼓台は小さかったそうです
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港町にある(港保育園の裏)東町の高須(宮嶋神社)
昔は道路に面しており市が立ち凄い人出があったそうです、
一宮神社では高須集合後、祭礼を1時間執行して処をみると高須とはこの通りであるとのこと、太鼓台も勢ぞろい


大江について
現マルニ布団店から北側の道と港保育園前の100メートル程北側の道は太鼓道と呼んでいて
大江太鼓台の部落回りに利用されています
戦前は、現大江青年団が魚市場で,そのすぐ東側が青年団クラブだったようです
そのすぐ北東側(昭和50年代まで船大工さんが船を建造していました)あたりで、組立をしていたそうです
太鼓台の棒は魚市場一角(現在と同一場所)に保管していたそうです
太鼓台の幕も木箱に入れられ、現在ほど丁寧に保管されてはいなかったようです


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